2025.11.05 [イベントレポート]
「河瀨直美へのオファーは「僕の樹木希林さんになってください」」10/29(水)Q&A『恒星の向こう側』

恒星の向こう側
10/29(水)コンペティション部門『恒星の向こう側』上映後に、中川龍太郎さん(監督/脚本/編集)、河瀨直美さん(俳優) をお迎えし、Q&Aが行われました。
→作品詳細
 
 
司会:市山尚三プログラミング・ディレクター(以下、市山PD):予告されていなかったのですが急遽、河瀨直美さんにもご登壇いただけることになりました。
 
──Q:中川監督映画の集大成ということで本当に感動しました。これまでの作品で扱われてきた「喪失と再生」のうち、「喪失」の部分が少なく、「再生」が大きくなっており、作風が変わってきたように感じます。お子さんが生まれたなどの私生活の変化に影響を受けているのでしょうか。
 
中川監督(以下、監督):ありがとうございます。昔の作品からずっと観てくださっている方こその視点で、過去の作品に出演している俳優さんがみんな出ている作品なので、そうした観方をしていただいてとても嬉しいです。自分がこれからどうなっていくかというのは自分でも分からなくて。当然、自分の実人生からの影響は作品の中に当然出てくるものだと思うのですが、自分でその可能性を狭めることなく、いろいろなジャンルのものを作っていきたいと思っています。その中に、今まで大事にしてきたものや、これから大事にしていきたいものが映ってくるのではないかと思っています。
 
──Q:奈良以外にもう一つの映画の舞台として、野付半島を選んだ理由を教えてください。「鹿繋がり」を意識して選ばれたのでしょうか。
 
監督:奈良は日本で一番古い場所ですよね。野付半島はある意味、日本人、大和民族としての文化圏からすごく離れている場所。つまり、縄文的なものと弥生的なものの対比がこの日本の中にめちゃくちゃあるなと思っていまして。そのことをすごく意識して作りました。奈良を舞台にしたのは、(河瀨)直美さんが出ておられるからで、「私は奈良弁でしか芝居できひん」って言うので奈良で撮りました。
 
河瀨さん:そんなことないよ。
(会場笑い)
 
監督:奈良の映画祭にも招待していただき、奈良はやはり素晴らしい場所で、何といいますか、文化としての対比がこの物語に必要だと思ったのでそうしました。鹿はたまたまです(笑)
 
──Q:ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」 を選曲した理由を教えてください。また、河瀨さんがピアノでこの曲を演奏されているシーンがありますが、どのくらい練習されたのでしょうか。
 
河瀨さん:2か月です。毎日やってました。
 
監督:撮影をしながら練習してくださったんですよ。
 
河瀨さん:ピアノの先生は、3人ぐらいいました。
 
監督:自分の家がカトリックだった影響もあって、神の祝福のモチーフとして木漏れ日を表す「オンブラ・マイ・フ」に通ずるものがあると感じて使いました。歌詞を見ていただくと繋がってるものがあると思います。バスの中で、(河瀨さん演じる菊池)可那子 さんの上に木漏れ日がかかるシーンが作品の中にあります。太陽のモチーフ、木漏れ日のモチーフを使いたいなということで、あの曲にしました。
 
河瀨さん:私の出演シーンでタンポポが映るところが、冬に入る直前の秋で、朝の露がお米についていてすごく美しい光景でした。交番で別のシーンを撮るっていう時間だったのですが、「こっちへ来い」「私を撮って」と。まぁ、それは樹木希林さんから学んだことなんですけれど。最後に希林さんが木にもたれて、木がふぁーって呼吸してるみたいに、朝の煙を吐いていたところで、カメラマンと私を連れて「私を撮りなさい」と言われて撮ったシーンがあるんですけれど。『あん』(15) という作品です。なんだか、そのような感じで、あのシーンはすごく美しい光が私たちに降り注いでいたので、思わず樹木希林さんが宿っていました。
 
監督:そういうことだったんですね。
 
──Q:監督と俳優の二刀流でお互いの作品に出演されています。監督として映画を撮り続けていると、俳優としてもチャレンジしたくなるのでしょうか。
 
河瀨さん:ユマニテ(芸能事務所) とか入れてくれないかな。
(会場笑い)
 
監督:具体的な名前が出ましたね。さっきの話じゃないですけれど、「僕の樹木希林さんになってください」といって、河瀨さんにオファーしたんですよ。(笑)
 
河瀨さん:希林さん、マネージャーとかいなかったしね。電話をかけてきてくれたら、いつでも出ますので、よろしくお願いします。でも、りゅうちゃん(中川龍太郎監督)もすごく(演技が)うまいんですよ。俳優の方がいいんじゃないかなって。上手です、本当に。ぜひそういう姿も見せてください。
 
監督:オファーがあれば(笑)。
真面目にご質問に答えると、やっぱり自主制作から始めているので、映画を作るということと、自分が出るということの距離がそんなに大きく離れているわけではないんですね。自分がカメラの前に立つことによってしか知りえない感情というのがあって。自分も演出家としてかなり行き詰まりを感じていたところで、直美さんの演出を受けたりして、「ああ、なるほど」と思うところも多かったです。あと、竹馬(靖具) 監督の『きみはそこにいて 』という11月公開の映画にも出演していますが、その2つの作品に出たことで、自分自身の演出家として進みたい道も少し開けたんです。ですから、それは相補的といいますか、別々のものじゃなくて繋がってるものという感じでやってます。
 
河瀨さん:実はこの後の出演作があり、スペインの監督とオランダの監督の作品が控えております。一昨年、昨年にかけて、スペインで撮影したり、香港で撮影したりしておりまして、11月には映画祭に登壇するためにスペインに行きます。
 
──Q:監督の作品は映像もセリフも詩的で、物語を作る人というよりも、詩人が作る作品だなと感じます。どこからインスピレーションを得ているのでしょうか。
 
監督:「そこに誰がいるか」というのが一番のインスピレーションのスタートで、奈良に直美さんがいて、北海道に中尾幸世 さんがいて、どこに誰が立っているかというイメージから作品を広げます。ですから、そういう意味では、人と場所の繋がりですね。そこから次の言葉だったり、あらすじだったり、映像のイメージが出てくることが多いです。ちょっと今の流れで、会場に中尾さんがいらっしゃっています。
(会場拍手)
NHKで作品を作っていた佐々木昭一郎 監督という監督がおられまして、去年亡くなられました。佐々木監督の作品に中尾さんはずっと出ておられて。自分は本当に佐々木昭一郎さんの作品が大好きで、中尾さんは20代、30代に出演されていて、その作品の中で輝いておられ、その中尾さんの輝きが大好きなんです。直美さんも大好きだったんですよね。
 
河瀨さん:はい、大好きです。
 
監督:別に示し合わせたわけじゃなくて、それぞれがすごく大好きな監督で。
 
河瀨さん:でも、だから中尾さんがあのシーンで出てくるっていうのは、何というか。『四季~ユートピアノ』(80)とか見ている人にとって見たら…
 
監督:もう、だって40年ぶりですよね。カメラの前に立っていただいて。
 
河瀨さん:そういうことをやる監督なんですよ。すごいですよ。奇跡のショットが数々あるなと思って。
 
監督:ありがとうございます。本当に中尾さんの輝きがあってできた作品なので、あらためてこの場で敬意を表させていただきたいと思います。
 
河瀨さん:佐々木さんは、中尾さんのことが大好きだったんです。監督にとってミューズというか。俳優でもあり、同志でもあり、この世に、この瞬間を誕生させたいって思う人がいて、こういう素晴らしい作品が生まれるんじゃないかなというのは、いつも思っていますね。ミューズ、見つかった?
 
監督:いやいや。でも本当に中尾さんが出てきてくれた瞬間、テストの段階で、もう涙が出てしまうといいますか。佐々木さんのミューズを自分が撮っているということに。ぜひ、佐々木さんの作品もリマスターされて観られるようになってるので、若い人たち、これからの人たちには、ぜひ観ていただきたい作品ですね。
 
──Q:菊池可那子を演じるポイントがあれば教えてください。
 
河瀨さん:女性として、母としての部分で答えますと、自分は母親でもリアルなのですが、子どもに対して可那子のように思っていません。可那子は、自分自身をもてあましている人だと思っていました。自分自身が保護されてこなかった人で、自分の存在を持て余している時間が長くて、抜き差しならない感情を抱えながら頼ってくるとか。心配してくるときは、あなたはあなたの人生でいなさいという切り離し方をしてきたんだろうなと思っていたので。そこでの言葉遣いのキツさは、思う存分そういった自分になりきりました。現場では(福地)桃子 さんと話していません。衣装合わせで監督に引き合わされましたが、その時から「何言ってんの」みたいな感じで、だいぶ冷たくしました。
 
監督:だいぶ怖かったですね(笑)
 
河瀨さん:またそういうこと言ったらスポーツ新聞に書かれる。
(会場笑い)
 
――Q:河瀨さんが先ほど仰っていた(公開予定作品の)スペインの監督はどなたですか?
 
河瀨さん:ルイス・ミニャーロ監督の作品です。
 
──Q:この映画は女性の話ですが、映画の製作を通して女性の気持ちを理解できたのでしょうか。
 
河瀨さん:この映画を観た方に「河瀨さんがあんな表情をするなんて」という感想もいただきましたが、絶対に近い人にしかしない表情なので。それを捧げました。
(会場笑い)
 
監督:ありがとうございます。
 
河瀨さん:女としての感情というものは、男にはわからない… と思いながら、きっと、そういうものを全てわかっている監督である中川君が、今回の映画を作り上げたのではないかな、この世に誕生させたんじゃないかなと思っています。
 
監督:自分が女性の気持ちを分かっているとはとても思えないのですが、この作品は、寛一郎 さんが演じている役柄(M・過去の万理) からの観察があるんですね。さっきも質問いただきましたが、今までは喪失の当事者として描いていたけれども、そこから少し視点が変わって描いているんです。彼にも喪失があります。今、直美さんがおっしゃっていた、自分自身を持て余してるってことが一番本質だと思います。男性か女性かとかではなくて、自分自身を持て余すせいで、自分のことも人のことも不幸にする人間がいるんだと思います。それは、僕自身に感じる、自分自身に感じることでもあるし、そのことを可那子というキャラクターに託しているから、二人の激しいところを若い二人の夫婦が見るという話だと思っています。
 
河瀨さん:『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』 が好きなんですよね、監督。
 
監督:(笑)
 
河瀨さん:この映画って真面目な話、(野口)未知と、登志蔵 さんで心に思っていることをはっきりと伝え合っていない夫婦なんですよね。表層的な平和みたいなものの中で、どうしても心の中には滾っているようなものを表に出せない時間がずっと続いている二人。監督も今言われたような男女だけではなく、もしかしたら、人と人との関係性の中で、リスクを回避しながら生きていこうかなという感じのところにはあるけれど。結局のところ、中川くんの映画は、そういうことから殻を破って何かもっと本質的なものをあぶり出したいみたいなところがどこかにはあるのだろうと。で、そこで彼女(未知)が服を投げて、本を投げて、ものすごく怒るっていうあのシーンを入れているのは、彼女の内面のすごく熱い部分というか、隠し持っている部分を表出させて以降に、きっと本当の繋がりがあるんだっていうことを、本当の涙があるんだろうなってことを言いたかった映画なんじゃないかと思います。
 
監督:監督に解説してもらいました。本当にその通りです(笑)

  • ショートドラマ特別企画。期間限定で無料話拡大!
  • 都営交通キャンペーン
  • 寄り道から始まる、とっておきの時間。丸ビルで『Marunouchi Yorimichi Stand』開催!
プラチナム パートナー