 
第38回東京国際映画祭のNippon Cinema Now部門に選出された『
みらいのうた』のワールドプレミアが10月31日、東京・丸の内ピカデリーで開催。上映後のQ&AにTHE YELLOW MONKEYのボーカル、吉井和哉とエリザベス宮地監督が登壇し、本作の舞台裏について語った。
本作は、吉井に3年間密着したドキュメンタリー映画。静岡で彼をロックの世界に導いてくれた人物との交流や、喉頭がんの闘病を経てステージに復活するまでを描く。メガホンをとったのは、東出昌大の狩猟生活に密着したドキュメンタリー映画『WILL』の宮地監督。
『みらいのうた』というタイトルは吉井がつけたという。宮地監督は「撮影が終わって編集を始めて、最後の最後でタイトルが降りてきました。吉井さんからその提案をいただいたんです。実は、撮影を開始する前にリリースされていた楽曲です。でも、はめてみたら、この3年間で起こった出来事すべてが収束していく、昇華されていくようなイメージでした。最後のピースがこの楽曲によってハマった感じです」としみじみ語る。
吉井も「不思議な映画でした。僕の周りの日常にいる人たちを集めているだけですし、ERO(URGH POLICEのボーカル)の家の近くの教会だったりが出てくる。言い方は変ですけど、神様がキャスティングやロケ地、小道具など全部与えてくれたような、不思議なドキュメンタリーでした」と感想を述べる。
本作でキャラクターが炸裂しているEROについて、吉井は「僕のドキュメンタリーを撮ってもらう話になったとき、それって何も面白くないだろうと思ったんです。それで数カ月前に、病気で倒れたEROさんに出ていただいて、少し生活の援助ができたらいいなということで、彼を説得しました」とERO出演の経緯を語った。
その後のQ&Aでは、吉井とカメラを回す監督との距離感の詰め方についての質問が入る。宮地監督によると「カメラを回す側としては、被写体の人にはできるだけ圧をかけないようにしますが、吉井さんは、僕からしたらオープンな方で、すぐに受け入れてくれました。だから僕は特に工夫してなかったかもしれないです」と吉井の印象を述べる。
すると吉井が「まず、髪型が油断させるんじゃないですか?」と宮地監督をいじると「すみません、ちょっと失敗しちゃいました」と笑う宮地監督。
吉井は撮影前を振り返り「うちの事務所のボスから「ドキュメンタリーを回してみませんか?」ということで、そこからは僕たち2人でLINEのやり取りをしました。僕ももちろん病気がまだ発覚してなかったので、「何から撮りましょう?静岡へ行ってみましょうか?」と始まったのが最初のシーンです。宮地さんは音声のこだわりがすごくある方なので、あの雨のシーンをよくぞここまで聞き取れるようにしてくれたなと」と感心する。
宮地監督が「吉井さん、カメラに対する抵抗ってあまりないですよね?」と尋ねると「ありますよ!」と即答する吉井。「今までヘアメイクとかを入れていたのってなんだったんだというくらい全部すっぴんですから」と苦笑いした。
宮地監督は常にカメラを回し続けていたそうだが、吉井は「ドーム(ライブ)が近づいて、残りのリハが数回しかない時、完全に声が出なくてどうしようと思いましたが、そういうときもカメラは回っていました。今は1人になりたいと思うシーンもありましたが、撮っておいてもらってよかったなと思います」と宮地監督に感謝した。
続いて、観客からこのドキュメンタリーをどう終わらせるかを最初に考えていたかという質問と、好きなシーンについて教えてほしいというリクエストが入る。
宮地監督は「最初にEROさんと出会った時に、おふたりの復活ライブまでを撮ろうということは思いました。ただ、それを決めた半年後に、吉井さんの喉頭がんが見つかってしまって、そこからは正直、先が読めなくなりました。EROさんも最後の教会のシーンまで、ギターを弾いて歌えるようになるまで結果的に3年間かかりましたが、どれぐらいの期間で、どうなるかというのは、正直、途中から特に分からなくなりました」と述懐した。吉井は、「途中でやめたくなった瞬間はありましたか?」と尋ねられると「ないない」と即答した。
「でも、EROさんと教会で一緒に歌うシーンが、確かにクライマックスになるなと。それが撮れたらこのドキュメンタリーはちゃんと終わりを迎えることができるんだろうなとは思いました。だからこのドキュメンタリーや、ドーム(ライブ)もそうですが、僕個人としては、このドキュメンタリーが回っていたことによって、病気の回復は早まったとすごく思っています」と感謝した。
第38回東京国際映画祭は、11月5日まで開催。
                    
                 
第38回東京国際映画祭のNippon Cinema Now部門に選出された『
みらいのうた』のワールドプレミアが10月31日、東京・丸の内ピカデリーで開催。上映後のQ&AにTHE YELLOW MONKEYのボーカル、吉井和哉とエリザベス宮地監督が登壇し、本作の舞台裏について語った。
本作は、吉井に3年間密着したドキュメンタリー映画。静岡で彼をロックの世界に導いてくれた人物との交流や、喉頭がんの闘病を経てステージに復活するまでを描く。メガホンをとったのは、東出昌大の狩猟生活に密着したドキュメンタリー映画『WILL』の宮地監督。
『みらいのうた』というタイトルは吉井がつけたという。宮地監督は「撮影が終わって編集を始めて、最後の最後でタイトルが降りてきました。吉井さんからその提案をいただいたんです。実は、撮影を開始する前にリリースされていた楽曲です。でも、はめてみたら、この3年間で起こった出来事すべてが収束していく、昇華されていくようなイメージでした。最後のピースがこの楽曲によってハマった感じです」としみじみ語る。
吉井も「不思議な映画でした。僕の周りの日常にいる人たちを集めているだけですし、ERO(URGH POLICEのボーカル)の家の近くの教会だったりが出てくる。言い方は変ですけど、神様がキャスティングやロケ地、小道具など全部与えてくれたような、不思議なドキュメンタリーでした」と感想を述べる。
本作でキャラクターが炸裂しているEROについて、吉井は「僕のドキュメンタリーを撮ってもらう話になったとき、それって何も面白くないだろうと思ったんです。それで数カ月前に、病気で倒れたEROさんに出ていただいて、少し生活の援助ができたらいいなということで、彼を説得しました」とERO出演の経緯を語った。
その後のQ&Aでは、吉井とカメラを回す監督との距離感の詰め方についての質問が入る。宮地監督によると「カメラを回す側としては、被写体の人にはできるだけ圧をかけないようにしますが、吉井さんは、僕からしたらオープンな方で、すぐに受け入れてくれました。だから僕は特に工夫してなかったかもしれないです」と吉井の印象を述べる。
すると吉井が「まず、髪型が油断させるんじゃないですか?」と宮地監督をいじると「すみません、ちょっと失敗しちゃいました」と笑う宮地監督。
吉井は撮影前を振り返り「うちの事務所のボスから「ドキュメンタリーを回してみませんか?」ということで、そこからは僕たち2人でLINEのやり取りをしました。僕ももちろん病気がまだ発覚してなかったので、「何から撮りましょう?静岡へ行ってみましょうか?」と始まったのが最初のシーンです。宮地さんは音声のこだわりがすごくある方なので、あの雨のシーンをよくぞここまで聞き取れるようにしてくれたなと」と感心する。
宮地監督が「吉井さん、カメラに対する抵抗ってあまりないですよね?」と尋ねると「ありますよ!」と即答する吉井。「今までヘアメイクとかを入れていたのってなんだったんだというくらい全部すっぴんですから」と苦笑いした。
宮地監督は常にカメラを回し続けていたそうだが、吉井は「ドーム(ライブ)が近づいて、残りのリハが数回しかない時、完全に声が出なくてどうしようと思いましたが、そういうときもカメラは回っていました。今は1人になりたいと思うシーンもありましたが、撮っておいてもらってよかったなと思います」と宮地監督に感謝した。
続いて、観客からこのドキュメンタリーをどう終わらせるかを最初に考えていたかという質問と、好きなシーンについて教えてほしいというリクエストが入る。
宮地監督は「最初にEROさんと出会った時に、おふたりの復活ライブまでを撮ろうということは思いました。ただ、それを決めた半年後に、吉井さんの喉頭がんが見つかってしまって、そこからは正直、先が読めなくなりました。EROさんも最後の教会のシーンまで、ギターを弾いて歌えるようになるまで結果的に3年間かかりましたが、どれぐらいの期間で、どうなるかというのは、正直、途中から特に分からなくなりました」と述懐した。吉井は、「途中でやめたくなった瞬間はありましたか?」と尋ねられると「ないない」と即答した。
「でも、EROさんと教会で一緒に歌うシーンが、確かにクライマックスになるなと。それが撮れたらこのドキュメンタリーはちゃんと終わりを迎えることができるんだろうなとは思いました。だからこのドキュメンタリーや、ドーム(ライブ)もそうですが、僕個人としては、このドキュメンタリーが回っていたことによって、病気の回復は早まったとすごく思っています」と感謝した。
第38回東京国際映画祭は、11月5日まで開催。