2025.11.04 [イベントレポート]
監督の周りに多すぎるほどあった性被害からのサバイバーを描くドキュメンタリー 11/2(日)Q&A『魂のきせき』

魂のきせき

©2025 TIFF
※写真は10/31のQ&Aに登壇時のものです

11/2(日)Nippon Cinema Now 部門『魂のきせき』上映後、小林 茂監督(左)、小田 香さん(撮影・左から2番目)、にのみやさをりさん(俳優・中央)、高橋和枝さん(俳優・右から2番目)、 結華さん(歌・右)をお迎えし、Q&Aが行われました。
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小林 茂監督(以下、監督):皆さんこんにちは。監督の小林 茂と申します。この度は東京国際映画祭にお呼びいただきまして大変ありがとうございました。この映画、9年ほどかかっておりますが、スタッフ、出演してくれた方々、それから400人以上にわたる皆様のカンパ(支援)によって作られております。また本日はお忙しい日曜日の朝からたくさんご来場いただきまして感謝申し上げます。ありがとうございました。
 
小田 香さん(以下、小田さん):撮影を担いました小田 香です。今日はご来場いただきありがとうございます。
 
にのみやさをりさん(以下、にのみやさん):朝早くからどうもありがとうございます。観てくださってとても嬉しいです。
 
高橋和枝さん(以下、高橋さん):ご来場ありがとうございます。 最後まで観ていただいて、本当にありがとうございます。もう感謝しかないです。ありがとうございます。
 
結華さん:歌を担当させていただきました結華です。すごいたくさんの方に観ていただけてすごく嬉しいです。本当にありがとうございます。よろしくお願いします。
 
司会:市山尚三プログラミング・ディレクター(以下、市山PD):最初に私のほうから小林監督に質問してから始めたいと思います。この作品は9年掛かって作られた、非常に長い期間で撮影されたということなんですが、何がきっかけでこの作品を撮り始められたのかということをお聞かせいただけますか。
 
監督:この映画にも出てきております森永都子さんとは20歳ぐらいからのお付き合いなんですけれども、彼女が幼い時の性被害を40歳にフラッシュバックするんですね。彼女とはそんなに年齢も変わらないのですが、そのことを私に訴えてきました。電話や手紙でも受け取りました。私も35年ほどそういう性被害と、ちょっと別の意味ですけれども付き合ってきたっていうところがございまして。そんな時に写真家として、サバイバー(苦難を乗り越えた人)として生きていらっしゃるにのみやさんとお目にかかって。にのみやさんは公表されていましたが、森永さんのことは公表をしていない。だめかもしれないけど、ひょっとしたらにのみやさんにお願いしたらいいんじゃないかなと思いまして、そこから撮り始めたということです。
 
市山PD:撮影が9年で、編集はどれぐらいかかったのでしょうか。
 
監督:1年ほどですね。
 
市山PD:この1年で編集していらっしゃる。
 
監督:そうですね。
 
──Q:映画の製作を通して、性被害についての考え方に何か変化は生じましたか。
 
監督:大変重要な質問をいただきました。ありがとうございます。にのみやさんが横浜在住だということもあって、私も町田で大学の教鞭を8年間ほど執ったことがございますが、しばしば大学に(にのみやさんを)お呼びしたんですね。そうすると講義が終わった後、必ず数名の女子学生がにのみやさんのほうに来て(性被害に遭ったことについて)相談をしてるようなんですよね。そういうことがたびたびありましたので、本当に性被害っていうのが氷山の一角とかよくいいますが、実際はそれどころじゃなくて、日常的に近くにある、あるいは自分自身がそうである、あるいは自分がそうでなくても知り合いがそういうことである、というようなことに気づいたことはありました。サバイバーには女性が多いんですけど、これは男社会の問題じゃないかというふうにだんだん考えるようになりました。
それから、森永都子さんについては、私は若い頃の彼女をよく知っていましたが、久しぶりに会ってですね、苦難に満ちた人生を歩んでいるので、決して昔の思い出がその顔に現れてるわけではないんですね。撮りながらもなんとかチャーミングにと思ったんですけど、僕の中では昔の彼女を知っているのでどうしてもその点にギャップがあったんですが、スタッフが撮った撮影を見て「存在感がある」「チャーミングだ」っていうようなことをしばしば言うものですから。私も、いつもそういう前(昔)の彼女と比較するのではなくて、この40年近く、サバイバーとして生きてきた彼女をちゃんと認めてあげないといけないなというふうに変化しました。
 
──Q:監督自身の体験も作品に反映されています。製作過程のどの段階で反映しようと考えたのでしょうか。
 
監督:ありがとうございます。私自身の体験については考えておりませんでした。一つには、様々な方の中で男性でいい年をして、ベテランと言われる域のドキュメンタリー監督が性被害を撮るっていうだけで、いわゆるNGO・NPOでそういう支援者をされてる方々にとっては、非常に違和感があるというふうな声を聞いたこと。それからやはり、私がなぜ撮るのかということについては、森永都子さんとの関係を描かないと分かりにくいというスタッフからの、大変多く(の意見)ありまして、このようになりました。
 
──Q:撮影を担当した小田 香さんに質問です。監督との共同作業になりますが、撮影の工夫についてお聞かせください。
 
小田さん:先ほどのご質問にも関わるかもしれないですけど、最初は呈示してくださってるものを撮るけれども、何を撮っているのかわからなかったですね。何年か撮ってみても、あ、そうか、自分には性被害を撮れないなっていう感触がありました。そこで議論があって、小林さんとの関係であれば何か映るかもしれないとなりまして、どんなショットを撮るかは考えていなかったのです。ただ、どういうところにカメラを置いたらお二人の関係性であったりとか、過去のことは映せないけども、「今」が一端でも映ったらいいなっていう感じでカメラ置いていました。
 
──Q:にのみやさんに質問です。「性被害」の加害者に向けたプログラムを実行しようと思った理由を教えてください。
 
にのみやさん:被害に遭われた方の多くはきっと、なぜ私だったんだろうっていう問いを持つんじゃないかと思うんです。私自身がそうでした。なぜ私だったのか、どうしてと。ずっとそれを引きずってたんですね。自分の被害から10年経ったときに、直接加害者に対面して聞いてみたんですけど、答えらしい答えというのは得られなかったんです。問いだけが宙吊りになって、なんでなんだろう、なんでなんだろうって、ずっと思ってました。それが、ある映画のイベントがきっかけで、加害者臨床というのをやってる方がいると知って、早速コンタクトを取ったんですね。私は加害者と対話したいのだと。なぜならば、自分がなぜこんな目に遭ったのかっていう問いもあるし、なぜ彼らが加害しなければならなかったのか、加害に向いたのか、そういったことを対話したいと申し入れて、それから続けてます。今でもう8年、9年、それぐらいですかね。被害者のサポートをしている方に、加害者の更生まで(支援しろ)っていうのはなかなかキツいと今お話を伺ってて思いました。
 
──Q:監督に質問です。死にたいという言葉を聞いて、森永さんと関わりたくないと言っている場面がありました。それでも森永さんと関係を続けていこうと思った理由を教えてください。
 
監督:いい質問だと思います。話の流れの中でたまには言ってやろうかというぐらいなもので。それでもう、関係を切って終わりっていうわけではないわけなんですね。彼女も睡眠薬を飲んでいるとか、そういう状況で話をしているものですから、話している内容も忘れたりしてます。ただ、そういうことは、例えば娘さんにしても何にしても、関係者でもいろいろ言いにくいことですよね。やっぱり、金銭をカンパ(援助)してくれとか、鬱になったとか、死にたいとかいうのをやると僕も苦しいんですよね。言われると心配だから、2、3日して電話するでしょう?そうすると、出なかったりするんですよね。それで本当に死んでしまったのかと思うこともありました。常に彼女に僕が付き添っているわけではないのでね。彼女とは断絶したっていうようなことはございませんで、ついこの間もメールが来ました。未だに連絡させてもらっています。
 
──Q:この映画では、被害者の過去ではなく「今生きている姿」を描いていますが、こう表現することの意味をどのようにお考えでしょうか。
 
監督:いい質問だと思います。私のほうからお伝えしますが、彼女たちの過去を私が知らないわけではございません。ただ、この映画は一般公開されるということを考えると、例えばここに映ってる彼女たち自身がこの映画を観てフラッシュバックする可能性があります。それから、この映画を観ている(被害者の)方の中でそういうことについてフラッシュバックを起こす可能性がとても高いので、(劇)中に、この映画はこういう内容の映画ですというふうに一文入れましたけれども、あの文字もとても悩んで入れたもので、専門家の方も含めて入れたものなんですね。だから、そういう意味で(過去は)描けませんでした。そういうことです。
 
にのみやさん:被害者は、被害の時点で止まってるわけじゃないです。被害後を何年も何十年も生きなければならないわけで、それは私自身も和枝さんもそうだと思うんですね。だからそういう意味では、被害に焦点を当てるというよりも、被害後を私たちがどう生きているのか、被害後を生きるというのがどういうものなのか、それをお伝えできることはすごく大事なことなんじゃないかなと私自身は思っています。
 
高橋さん:「今」っていうと、にのみやさんとこうやって生きてるっていうことですよね。でもその前に、私たちにある過去、痛みを抱えなければならない出来事があって。にのみやさんが言ってくれたみたいに(被害者は)出来事だけで生きてるわけじゃなくて、それが大きいところから小さくなったり、違う見方で見られるようになったりを一人でやっているわけでは当然ないんですよね。私の場合は、性被害だけじゃなくて親の虐待もあって、(家族など)近い人にすらもっと言えない(相談できない)みたいな状況の中で。
サバイバーの多くの人たちはその(性加害)報道を見たり、それがすぐ(性加害)=フラッシュバックじゃなくって、「あ、私のことだ」と思って見ているんですよね、虐待なり、性暴力だったり。そのあと、茂さんが言ってくれたような、死んでしまうかもしれないみたいな(思いに駆られる)。で、死んでしまった方のニュースを見るんですね、特に虐待だったりとか。そのたびに私の中で起きる感覚は、「私は生き延びてしまった」みたいなね。この亡くなった人と自分は何が違うんだろうっていつも思うんですよね。そのたびに、なんか、こう、申し訳なさだったり、でも自分だけが生きてるような感覚だったり、ずっと責めている自分がいて。そのエネルギーが自分に向く以外に、なんかできたらっていうことが、活動のある一部だったし、歩くしかなかったんですけど。その一部一部を茂さんや、香さんや、クルーの皆さんが撮ってくださった。完成した映画を観ている私とそして今、観てくださる皆さんがいて、この瞬間、新しい私を、もしかしたら、この体験を出来なかった亡くなっていった仲間とか、そういう人たちも一緒に観ているんだっていう「今」を、皆さんと作ってる「今」がすごく嬉しいです。質問ありがとうございました。
 
──Q:にのみやさをりさん、高橋和枝さん、森永都子さんと監督に共通点はありますか。
 
監督:今、様々な方々が、戦後の日本の家庭の中に戻ってきて、それがDVの基礎にある。それから、性被害の多くが、非常に家庭的な身近な人たちのなかで起こってるということが専門家の方々で言われてきております。そう考えると、私自身は戦争のトラウマを持った両親に育てられて、自分の目の前で毎日のように暴力が繰り広げられてるっていうのは、面前DV(子どもの前での夫婦喧嘩)という、いわゆる虐待の一つだそうです。そういうようなことも含めて、なぜ小林がこの映画を撮るのかってことを、もうちょっと赤裸々に、観る人に説明しないといけないんじゃないかとなりましたので、私の田舎に行ったというのが現状です。
 
市山PD:監督、最後に一言お願いいたします。
 
監督:結華さんの歌がありますが、今から8年ほど前、あるワークショップの発表会で彼女が歌ったのがこの2曲です。小学校2年生だったんですけど、ものすごくね、微妙な年齢でこの声を出されていて。映画に使うとか使わないとかじゃなくて、もう僕自身がそんな感じがするんですよ。(小学校)2年生3年生ぐらいになるとちょっと世の中わかるんだけど、自分では何もできないっていうふうなね。そういう感覚をすごく持ってたので、すぐ録音部に頼んで、リビングで録音させてもらいました。そして最後はこういう形になったんですが、一番最後のほうは中学3年生の頃、もう一回再録をしたんですね。赤裸々なことを言いますと、前使ったやつを最後も使ってたんですが、このお二人がですね、あまりにも元気よく終わったんで、これは困ると言われたのでもう一回撮影したというようなわけでございます。とにかく、結華さんの歌に皆さん拍手を送ってですね、結華さん、ありがとうございました。
(会場拍手)
それから、スタッフが今こちらにいますのでご紹介します。プロデューサーの長倉徳生 さん。それから秦 岳志 さんが編集とプロデュース。それから、製作事務局の須藤伸彦 さんです。どうも皆さん、ありがとうございました。

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