

10/31(金)コンペティション部門『春の木』上映後、チャン・リュルさん(監督/脚本)、リウ・ダンさん(俳優) をお迎えし、Q&Aが行われました。
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リウ・ダンさん(以下、リウさん):こんにちは。私はリウ・ダンです。よろしくお願いします。
チャン・リュル監督(以下、監督):チャン・リュルでございます。皆さんにお気に召していただけたか、ちょっと心配です。
司会:新谷里映 (以下、新谷さん):皆さん気に入っていただけましたよね?
(会場拍手)
新谷さん:ありがとうございます。私のほうから質問をさせていただきます。映画に登場したパルム・ドール団地は実際にあるのか、それとも映画用に設定されたものなのか、お聞かせください。とても印象的な団地でした。
監督:そうですね。実は、この映画の制作予算はすごく低いものですから、パルム・ドールマンションを作る余裕はないんです。たまたま通りかかった時にあったマンションを映画に使用しました。次回は、もっと素晴らしいパルム・ドールマンションを建てたいと思います。
新谷さん:ありがとうございます
──Q:キャスティング時のエピソードについてお伺いしたいです。
監督:主役のバイ・バイホーさんは、成都の方言ができない設定です。以前は方言を使っていたのですが、先生の厳しい指導で禁止されてしまったため、標準語しか話せない、という設定です。先生は、成都の言葉ができるということなんですけれども、実は、先生は上海から来た女性なんですね。なぜ成都に移ったのかというと、中国各地に映画製作所があった頃というのは、上海で女優として活躍していた人も、各地の映画製作所に移っていくという国の政策もありました。ですので、張先生は、上海から成都に来た女性という設定なんです。
実は、バイ・バイホーさんが演じたファン・チュンシューのお母さん役のポン・ジンさんは、なかなか成都の方言ができる人が見つからなかった状況の中で、プロデューサーをしていたポン・ジンさんがちょうどいいということで、役者さんではありませんがお母さん役をやったわけです。
──Q:方言はアイデンティティを象徴するものとして使用しているのでしょうか。標準語と方言の関係性について、お伺いしたいです。
監督:まず、自分の故郷の言葉とは、自分の思いの深いところで、母語、故郷の言葉によって表現できるものだと思います。ですので、人間と思いの距離のとても近いところに感情の表現方法がこもっていると思います。
一方で、この標準語がどういうものかといいますと、標準語というのは普遍的な要素を持つわけですよね。様々な場所の、様々な人がコミュニケーションが取れる、とても便利なものです。英語であれ、フランス語であれ、日本語であれ、言葉で世界の人々が繋がるということ。例えば、英語でコミュニケーションを広げていく過程において、ある程度の情感もそこに入ってくると思います。そのように、コミュニケーションを広げていくというプロセスの中で、標準語はなにか大きな道理を話す時に使われます。例えば、先生が映画の中で、「中国人は14億人がいるんだから、14億の人に伝わるように標準語を話しなさい」というような台詞があります。けれども、それが正しいかどうかは別にして、標準語の中にはそういう効能があるわけですね。一方、方言を使うのは、小さな道理を話す時です。例えば、成都の言葉で話すと、共通語と同時に情感豊かなものが共通語よりも強く表現できるわけですよね。しかしながら、そういう普遍的な作用の中で、小さな道理は大きな道理の中に取り込まれていく、そういう状況であると思います。
──Q:画面の構図演出が印象的です。工夫をお聞かせください。
監督:映画監督として仕事をしていると、自分に警告したくなるんですね。構図に囚われるなっていう思いがいつもあります。
そうすると、その現場で出現した、その人物の情感というものををどういう風に構図としてこう表現するかっていうことですよね。そういう情感の表現とカメラの位置をどうするかということ。それらは、(カメラと)人物との距離、あるいは人物と人物同士の距離、そして、空間と人物の距離というもので自然に決まってくるものなんですよね。自然に出てきたものを構図として捉えるということ、それが一番理想的な形ですよね。
新谷さん:ありがとうございます。最後に、リウさんにもおうかがいします。監督からの演出でとても印象に残っていることをお聞かせください。
リウさん:チャン・リュル監督の撮影現場では、役柄についてのことを、さっき(監督が)おっしゃったほど、詳しくお話しすることっていうのはないんですね。ですので、監督がおっしゃった、人物同士の距離、あるいは人物とカメラの距離とか、今初めて、「あ、そういうお考えがあったんだ」っていうことを、やっと深く分かることができました。やはり、演じる者としても、人と人として、そこにいる人物と人物との関係をどういう風に捉えているかということ、監督がどのようにお考えになって演出されているかっていうことが、私は今、監督のお話を聞いて、「わーっ」と思いました。「あ、そうだったんだ」っていう風に思いまして。現場ではほとんど知ることのなかったお考えを知ることができました。
監督:例えば、先生の中国語で簡単にもう一度言い直すっていう感じですね。今、リウ・ダンさんがおっしゃったのは、撮影現場では、私は俳優さんたちとコミュニケーションをとらないという意味だと思います。私も初めての経験だったのですが、チャン・リュル監督の現場では、役者さんが私に「ここはこういうことでしょうか」「こんな感じでしょうか」っていう風に聞くとします。聞いてきたら、「あ、ちょっと別の用があるので、ごめん」っていう風に言い訳をしていました。