2025.11.03 [イベントレポート]
「映画業界において、女性として生きていくことは容易いことではありませんでした」11/1(土)Q&A『マザー』

マザー

©2025 TIFF

11/1(土)コンペティション部門『マザー』上映後、テオナ・ストゥルガル・ミテフスカさん(監督/脚本)をお迎えし、Q&Aが行われました。
→作品詳細
 
 
テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督(以下、監督) :このようにして東京へお招きいただいて、大変光栄に思います。ありがとうございます。この作品は、着想から足掛け15年から17年くらいかかっているのですが、いつか歴史モノを創りたいと思っておりまして、それが実現した暁には、必ず女性を主人公にしようと思っていました。本日は皆さんからの質問、楽しみにしています。
 
司会:市山尚三プログラミング・ディレクター(以下、市山PD):まずはなぜ、マザー・テレサさんの話を撮ろうと思ったのか伺いたいと思います。
 
監督:なぜマザー・テレサなのかというと、非常に大胆で勇敢な女性を描きたいと思ったからです。そして、実は(私と)同郷なのです。マザー・テレサは、マケドニアのスコピエ出身で、私が育ったところから1キロほど離れたとても近いところの出身です。マケドニアのテレビ局から、ぜひドキュメンタリーをというお話があった時に、飛びつかずにはいられませんでした。ちなみにこれは、前に作ったドキュメンタリーの話なのです。
 
──Q:子どもがマザー・テレサに粉をかけるシーンがあります。そこから場面が展開しますが、そのシーンが生まれた経緯をお聞きしたいです。
 
監督:まず、お言葉をありがとうございます。とても嬉しいです。あのシーンは、誘惑を象徴しているシーンですね。劇中でも少し言及していますが、マザー・テレサが求めていたことは、本物の母親になることだったのかもしれない。でも、そういった中でも、彼女は野心を優先するんです。そんな彼女は誘惑あるいは悪魔に誘われ、幻想の中へと入り込んでしまう。そこで目にするのは、彼女の奥底に巣食う、一番の恐怖を見せつけられている、そういう情景なのです。
 
──Q:「マザー・テレサ」は、オーケストラのイメージがありますが、パンクロックの曲を劇中で使用している意図を教えてください。
 
監督:なぜパンクロックなのかということなのですが、マザー・テレサについて研究を重ね、彼女の日記に書き残されているものや、彼女と一緒に活動を始めたシスター4、5人の15、16年前のインタビュー動画をもとに、今回の映画を作りました。例えば、彼女の日記には、自分の持っている自己顕示欲や、これをどうしたらいいのかという自己に対する疑念が書かれているんです。そういったものを読み解くにつれ、「マザー・テレサ」という神話の裏には、なんだか大きな女性がいるんだなという感じがしました。そして、100年ほど前の人物ですから、その時代において、本当に面白い人物で、現代的で、真なる反逆児で、ロビンフッド的で。なんだか本当に、自由の精神を持って生きていた、そんな人物に思えたんですね。それを表現するのに一番近いのがパンクロックだと思ったんです。フリーダム=パンクロックだと思っているので、自然とあの楽曲のチョイスになりました。 
キャスティングも、『ミレニアム』 シリーズの、ノオミ・ラパス をキャスティングできたわけですから、さらにパンク感が出てぴったりだったんです。最終的に描きたかったのは、自分自身をありのまま受け入れること。フリーダムを描きたかったんです。
 
──Q:インドを舞台に、ロレト修道女会を離れ、自らの修道会を設立しようとしていた時代のマザー・テレサを7日間で描いた作品です。このような構成にした理由をお聞かせください。
 
監督:ご質問ありがとうございます。なぜこのような時代設定で、7日間という限定された期間で描いているのかというと、マザー・テレサは世界中で知られている人で、Wikipediaで調べると、どのような人物なのかすぐに分かりますが、それをそのまま描くのは当然ながら面白くありません。マザー・テレサという神話の裏にはどういった人間がいるのか、そこに光を当てることに興味がありました。なので、今日の我々が知っているマザー・テレサに至る過程や、野心溢れるどんな女性なんだろうということを描くつもりで、時代を設定しました。
また、歴史の大きな転換点でもありますよね。1948年というのは大英帝国終焉の時代でありますし、国民が飢餓に襲われた時代でもあります。また、マザー・テレサの人生の中でも、バチカン市国の許しをようやく得て、自分の活動を始めて修道院を離れるという、決定的な転換点であります。この時代を軸にすべきだろうと思いました。
あえて、7日間に絞っているのは、映画的なギミックといいますか、トリックです。空間や時間を抑制し、その制限の中で描くとなると、エネルギーを圧縮することができます。そこから沸き立つドラマがあるんです。そういったことを狙って、今回は撮りました。この作品と同様に、歴史上の様々な人物を同じようなアプローチ方法で撮影しているのがアレクサンドル・ソクーロフ監督なわけですが、彼のように撮っていきたいという意図もあって、今回、このような構成にしました。
 
市山PD:今、監督が言っていたのは『モレク神』(1999)という、ヒトラーを限定された時間で描いた作品と『牡牛座 レーニンの肖像 』(2008)が当てはまると思います。
 
──Q:監督ご自身にとって、母親であること、女であることが何を意味するのかお伺いしたいです。
 
監督:母親であることについてお話をするならば、私は自分の息子にとって母親ですし、キャスト、スタッフの母親として活動しているつもりでおります。このように、私は母親として存在するわけですが、人間界に非常に関心を寄せて大事にしています。やっぱり、人間として生きることがすごく好きなのです。
女性であるということですが、この(映画)業界において、女性として生きていくことは容易いことではありませんでした。25年前と比べると状況は改善してきてはいますが、私も50歳にしてようやく(映画業界で)18歳の青年が持つような大胆さを身につけられたと感じています。女性はなかなか自信をつけられない、そして自分自身を許諾する気持ちになかなかなれないので、ようやくここまで来ましたという感じです。母親であるということ、女性であるということは、将軍であり、野心を持つことであり、まとめていうならば、愛を持って生きることだと思います。

プラチナム パートナー