11/3(月祝)、アジアの未来部門『一つの夜と三つの夏』上映後、カンドゥルンさん(中央・監督/脚本)、ツェリン・ヤンキさん(左・俳優)、ツェリン・トゥンドゥプさん(右・俳優)をお迎えし、Q&Aが行われました。
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カンドゥルン監督(以下、監督):皆さん、こんにちは。私はこの映画の監督のカンドゥルンです。お会いできて大変嬉しく思います。実は会場に、2人のプロデューサーとカメラマンも来ておりまして、皆さんにご紹介いたします。(会場拍手)
ツェリン・ヤンキさん(以下、ヤンキさん):皆さん、こんにちは。私は、映画の中のサムギを演じた、俳優のツェリン・ヤンキと申します。本当に皆さん、映画を観にきてくださいまして、本当にありがとうございました。
ツェリン・トゥンドゥプさん(以下、トゥンドゥプさん):皆さん、こんにちは。 ツェリン・トゥンドゥプです。ありがとうございます。
司会:石坂健治シニア・プログラマー(以下、石坂SP):今年のアジアの未来部門の中で最も若いチームでございまして、平均するとU30ということですね。チベットのニュージェネレーションということになりますけれども。
2回目のQ&Aとなりますので、質問が被らないように前回どんなお話が出たか簡単に申し上げますと、英語タイトルの Linka Linka ですね。「リンカ」というのは劇中にも出てきましたけれども、強いて訳せば「ピクニック」「レクリエーション」に近いということ、チベットの場合、夏が短いので、大切にその習慣を利用します、というお話しがありました。
それから、進学の話が出ましたね。クラスメートの中で成績の良い子が2割ぐらいチベット外に進学していくというお話しが出ました。
それから、男性のツェリンさん。最初は妹さんが出演する予定だったのが、都合で駄目になったため、ツェリンさんが出演することになり、役も男性に変わったというでした。
──Q:チベット色が薄いように感じました。どのような意図があったのでしょうか。
監督:特別にトーンを調整したといったことはないと思います。あくまでも、私が見た今のラサ、この街を映画の中で皆さんにお見せしようと思いました。私たちは現在もラサで暮らしていて、もうそのままの様子を皆さんにお見せしようと思いました。例えば、チベットに行ったことのない人にとっては、草原か山しかなくてすごく遠い存在といったイメージを映像などから抱いていると思います。我々にとってのラサは、普通の街と同じように、若い人たちが暮らしています。だから、私の見たラサをそのままリアルにこの映画で表現しようと思いました。
この2人も登場人物(ヤンキさん・トゥンドゥプさん)もそうですが、私たちは小学校を卒業してから中国の内地に進学します。夏休みや進学が終わったら再びラサに戻ります。映画の中で2人のセリフにもあったように、しばらく離れてまた故郷に帰ってくると、(故郷の様子が)すっかり変わっているっていうこともよくあるわけです。なかなか慣れるのに時間がかかりますが、自分の故郷をとても愛しているので、今の若者たちがこの中間にいるような気持ち、あるいは存在を、文化的にもそうですが映画を通して皆さんにお見せしたかったんです。
──Q:影響を受けた監督はいますか。どこから着想を受けたのでしょうか。
監督:私は映画を勉強する前からもうすでに、日本の小津安二郎監督の存在を知っていました。小津安二郎監督から2つの影響を受けています。1つは、この映画の美学的な取り扱い方です。例えば、この映画の中に使われているラサの地元の音楽を聞いた時やラサの色々なものを見た時に、ものすごく静かな感じがするのですが、その中に非常に情熱的な何かが表現されているんです。
もう1つ小津安二郎の映画から学んだのは、父親と娘の関係に関する描写です。私自身も父親との関係(に関する描写)にこだわりがあります。そういった意味で、小津安二郎の描き方にすごく共感を覚えます。近年の日本の若手監督の中では、三宅 唱監督、濱口竜介監督、欧米の何人かの監督からもいろんな影響を受けました。
石坂SP:監督は映画の勉強は北京の大学で学びましたか?
監督:いわゆる学部生の時には、コマーシャルの勉強をしました。大学院の時には、中国伝媒大学で映画の制作を勉強しました。
──Q:ストーリーが進むにつれて役者の身長が伸びていることに気付きました。撮影期間が長い作品では、役者の演技や身長だけでなく、撮影現場の風景も変化してしまうと思いますが、どんな工夫をされていたのでしょうか。
監督:2020年から2023年の3年の(撮影)間隔がありました。まず、この場を借りて2人の役者に感謝したいと思っております。この2人は、見た目がよく似ていますよね。実は、(ヤンキさん・トゥンドゥプさんが演じた役の幼少期を演じた)2人の子役もいるのですが、この2人の子役もよく似ていることに、皆さん映画を観て気付いたと思います。
仰るように、子役2人は撮影時、ちょうど小学校を卒業して中学生になろうとするところだったのですが、3年後は中学生になって身長も大きくなっていました。実は、子役2人も小学校を卒業してから私たちと同じように、内地に進学に行きました。子供時代を撮影した時には、彼女はまだ映画とは何かはっきりいってよく分かっていなかったんです。(よく分からずに)演じていましたが、中学生になってからは、私にいろんなことを聞いてくるんです。この役についてはどうなんだとか、すごく真面目に話し合いをするんです。私とまったく同じ感覚で。なので、3年間のギャップがあったにもかかわらず、違和感をまったく感じませんでした。役者の皆さんには本当に感謝するしかないと思います。
石坂SP:この映画でどういう役作りに力を入れたのかそれぞれ教えてください。
ヤンキさん:この映画の中で私の役柄は映画監督です。実際、私自身もいわゆるクリエイターとしていろんなことをやっているのですが、最初は、本物の監督の隣で一緒にキャスティングについて考えながら現場に臨みました。ラサにいる女性のクリエイターは、割と少ないんです。私がこの映画に関わってまずは、監督のチームのメンバーになって一緒にキャスティングをしました。たくさんの人が応募に来ましたが、誰を見ても監督が気に入る人がいなかったんです。それで、「あなた、子役と似ていますよね。セリフもなかなか上手いですし、あなたがやったらどうですか」と私にオファーが来たんです。芝居をしたことがなかったので、私もちょっと躊躇してしまって。映画制作は容易ではないので、私が(演技を)やって、映画がだめになったらどうしよう、とかいろんなプレッシャーを感じました。正直あまり受けたくなくて、最初は断ろうかなと思いました。ところが、監督が非常に熱心で、その熱意を見ていて、「これはもうやるしかないんですよね」ということでこの役を引き受けました。
演技をする時はいろんなことを考えました。この役柄は、どこか自分自身の経験と似ているところがあると思います。脚本を読んで、自分と似ている部分は割とスムーズにいきました。あまりにもスムーズだと逆に心配になるので、時には自分の役柄から離れて、客観的に役柄を見つめ、監督とどういう風に演じたらいいのかなど、いろんなことを議論をするんです。その時監督は、私たち役者に対して、非常に大きな空間を与えてくださいました。監督が言うには、「あなたが思うように大胆にやっていいですよ」「とにかく快適に演じることができたらそれでいいです」「演技らしい演技はしなくてもいいです」と。それを聞いてすごくほっとしました。
私がこの映画の中で一番好きなシーンは、車に乗って高速道路を走るシーンです。車の中は非常に空間が狭く、難しいところもありますが、狭い空間の中でいかに人間の情感をうまく表現できるのかを役者は問われるんです。難しかったところは、私がちょうど運転を勉強し始めたばかりだったので、まだ運転がそんなに上手ではなかったことなんですね。そのシーンは、夜間の撮影で、高速道路上をハイスピードで走るわけなんです。少し心配で怖かったです。監督には言いませんでしたが、プロデューサー、助監督、カメラの皆さんがなんとなく私が緊張していることに気付いていました。皆さんがどういう風に私に声をかけてくれたかといいますと、「ご心配なく、ちゃんと保険はかけていますので心配しなくていいですよ、安心して走ってください」と。それはよかったと、私は自分の演技に集中することができました(会場笑い)。とにかく、自分自身の演技についてはあまり考えないで、演じる役がどういうセリフを言うのか、それに対して自分だったらどうするのか。そう考えると、すごくやりやすくなりました。
トゥンドゥプさん:彼女と同じように、私も初めて演技に挑戦しました。私は、監督とは大親友で、自分自身もこの役柄とどこか似たところがあります。私も12歳の時に、1人で初めて上海に進学しました。よく図書館で勉強しました。まだ12歳でしたが、「老後はどうなるんだろう」と考えていました。やっぱり映画っていうのは、人間の記憶や街の様子をメモリーとして撮ってくれるわけですから、自分自身のこともいつか映画に記録することができればいいなと期待することが小さい頃からあったんです。
映画ご覧になった皆さんは分かると思いますが、冒頭のシーンで、私の演じた役はちょっとほろ酔いでしたが、ここもすごく自分に近いと感じます。手紙を書くシーンなどは幼い頃、友達に手紙を書く時、どういう気持ちだったかとか、そういうことを全部思い出して、その場面を演じることができました。私が初めて上海に行った時には、上海は大都会で地下鉄が複雑で、行ったらすぐ道に迷ってしまいました。おそらく、東京は上海よりもっと複雑だと思います。この映画をご覧になって、今のチベットのいわゆる、ニュージェネレーションである若い人たちがどういう風に暮らしていて、どういう風に未来に向かっているのかということも考えられたかもしれません。でも将来のことは誰にも分かりません。やっぱり、運命に委ねることが一番美しいやり方かなと思います。