2025.11.01 [インタビュー]
「引き受けた原動力は、佐藤さんの人間的な魅力です」公式インタビュー『佐藤忠男、映画の旅』

東京国際映画祭公式インタビュー 2025年10月28日
 
アジアの未来
佐藤忠男、映画の旅
寺崎みずほ(監督)
佐藤忠男、映画の旅

©2025 TIFF

 
150冊を超える著作を世に問い、映画という表現を追求した佐藤忠男。映画評論家として初めて文化功労者に選ばれた佐藤は独学で道を拓き、数多くの名作を日本に知らしめた。とりわけアジア映画を数多く紹介したことでも知られる。寺崎みずほは、佐藤忠男が愛したインド映画『魔法使いのおじいさん』(79)を紹介するとともに、韓国映画界の匠に会い、さらに台湾映画への貢献を明らかにする。夫人との絆を含め“人間”佐藤忠男の実像を描いた作品だ。
 
 
──最初に、この作品を製作した経緯を教えてください。
 
寺崎みずほ(以下、寺崎監督):初めに、プロデューサーの川井田博幸さんから、佐藤忠男さんを映画にできないかと声をかけられました。同じ「グループ現代」で働いていたので依頼されたのだと思いますが、私はちょっと尻込みしました。大巨匠ですし、映画評論家のドキュメンタリーは難しいなと。加えて、私が佐藤さんの本を多く読んでいなかったことも影響していました。
 
──それが変わられたわけですね。
 
寺崎監督:翌年、アテネ・フランセの新年会に佐藤さんが来られて、ご自分のことを素直に話される姿を見た時に、偉い先生なのに素朴な印象を受けたんです。そして川井田さんと一緒に、佐藤さんに会いに行きました。すると、「僕が映画から学んだことは、気位の高い女性にうやうやしく接し、その女性から認められることだ」とおっしゃったので驚きました。 
その後、若い時の日記を姪っ子さんから頂いたのですが、その中に「映画評論はこのままでいいのか」という逡巡が書かれていました。こうした悩みを知って、少し近寄れるかなと思いました。人間的な部分が垣間見えたことが、引き受ける原動力になりました。
 
──佐藤さんはアジアの映画を日本に紹介した功労者でもありますね。
 
寺崎監督:私たちはアジアと今後どうやって向き合っていくのか、生活していくのか。佐藤さんの想いは腑に落ちました。アジア映画の探訪記に書かれている内容も面白いですし、佐藤さんのように戦争を体験した方が生きている時代に、もう一度アジアと日本の関係を考えるのは大事だと実感としました。
 
──作品の骨格がそうして形成されていったのですね。
 
寺崎監督:映画にするためにはどうすればいいか探っていきました。青春時代の佐藤さんの恋心や夢に向かって葛藤する姿とアジアについてが両輪になりました。それを映画にしたいと考えました。
 
──佐藤さんの教え子ではなかったのですね。
 
寺崎監督:一応、教え子といえば教え子ですね。日本映画史と映画史概論は佐藤さんの映画学校で学んでいるので、広い意味で言えば教え子にはなると思います。ただ、師事しているとは言えません。佐藤さんの本も2冊か3冊ほどしか読んでいません。でも、授業は面白いと思いました。映画の話を楽しそうにしてくれるのが印象に残っています。すでに80歳くらいだったのに、立って授業をしてエネルギッシュですし、映画の話が止まらない。話してみると優しくて。サービス精神が旺盛と言いますか、私がカメラを回していると学生との絡みを作ってくれようとする。そういう意味でもやっぱり心が広い方ですね。
佐藤忠男、映画の旅
 
──製作を決心なさったのは、具体的にはいつ頃ですか。
 
寺崎監督:佐藤さんがご存命の時は、インタビューしに行くのが楽しくて、戦争のことを聞いたり、教育のことを聞いたり。質問がアジアだけに絞れませんでした。亡くなってから、どうしようと思ったときに手元にあったのが、25歳くらいの時の日記と89歳の時に書いていたアジア映画探訪記でした。
まずはアジアフォーカス・福岡国際映画祭に行き、台湾の評論家の張昌彦先生に繋がりました。張さんは佐藤さんの何が大事なのかという話をしてくれました。韓国のイム・グォンテク監督とイ・ジャンホ監督も参加してくれて、全世界の映画を公平に見たいと語っていた佐藤さんのスケールがよく出たと思います。
また、佐藤さんは映画の世界地図を作りたいというようなことをおっしゃっていました。この作品ではインドと韓国だけですが、その一端は描けたと思います。それと、ゴーヴィンダン・アラヴィンダン監督への崇拝ぶりは理屈を超えています。奥様も一緒になって神様だと言っているところに驚きました。最終的にインドのケーララでまとめる展開は、佐藤さんが亡くなった後に決め、去年の2月にロケをしました。
この作品ではもちろん佐藤さんを真面目に描いてはいるのですが、佐藤さんを語るには、佐藤さんが愛した映画のなかにこそ答えというか、私たちが考えるべき秘密があるんじゃないかと思いました。
 
──アラヴィンダンの『魔法使いのおじいさん』を印象的に紹介していますね。
 
寺崎監督:映画は考えることをプレゼントしてくれるものだと思います。『魔法使いのおじいさん』は、ストーリーは童話のようですが、見れば見るほど深い要素が隠れている。佐藤さんがどこに感化されたのかは確かめようがありませんが、あの作品を丸ごと愛している感じでした。
 
──監督ご自身はどんな印象を持たれました?
 
寺崎監督:シンプルですが字幕がなくても理解でき、自然の力というものを感じました。初めは芸術映画と思って観たのですが、不思議な感慨を持ちました。佐藤さんはイングマール・ベルイマンかアラヴィンダンかと比べているし、『東京物語』(53)とも並べて評価している。私は何度も観て、腑に落ちた瞬間がありました。人間が忘れちゃいけないものとか、でも忘れなきゃ生きていけないこと、そういう哲学的な要素も入っている映画だと思いました。
佐藤忠男、映画の旅
 
──監督は“人間”佐藤さんをどのように捉えられたのですか?
 
寺崎監督:素直に、佐藤さんのように生きたいと思います。好きなことを一生やっていたわけですよね。叶えるためには大変なこともあったと思いますが、純粋な心を残せていたのは才能です。
 
──これが第1作ですが、もともと監督としてどんな内容のものを撮ろうとお考えだったのですか?
 
寺崎監督:家族の話に興味がありました。家族のコミュニケーションは実は難しい。小津安二郎監督の永遠のテーマだったと思いますが、関係性とか、目に見えないものに非常に興味があります。
佐藤忠男、映画の旅
 
──ずっとドキュメンタリー志向なのですね?
 
寺崎監督:そうですね。このドキュメンタリーを通して、結果的にアジアの映画コミュニティに触れることができたのも良かったと思っています。
 
 

インタビュー/構成:稲田隆起(日本映画ペンクラブ)
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